自分たちの子供たちに過度な期待感や威圧感で、体を心を萎縮させ、存分にプレーさせてあげれていないかもしれないのに・・・
それに加えて、試合対戦チームの子供たちにもプレッシャーをかける。青少年健全育成の場のはずなのに・・・
自分たちの子供たちも、対戦相手の子供たちも、野球を通じて何かを学んでいることは間違いありません。
とある試合で、こんなことがありました
チームの初回の守備で、ピッチャーの立ち上がりは三者凡退の上々のできでした。
ところが、次の回での守備の際、対戦チームの首脳陣はそのピッチャーに大人特有の威圧感を持てプレッシャーをかけ始めました。相手はまだ年端もいかぬ小学生にです。
メガホンを持って、ピッチングに入ろうとすると「う〜、う〜」と大きな声で・・・
ただでさえ集中するのが難しい子供達です。失敗を恐れず、思い切ってチャレンジしようとがんばっている12歳のこどもに・・・
結果、大差でもって立ち上がり三者凡退で抑えたピッチャーのいたチームが大差をもって負けました。
敗因はそれだけではないと思いますが、勝敗を分ける要因であったことは間違いないと思います。
そこまでして得た勝利に意味はあるのでしょうか?
本当に子供たちのためになっているのでしょうか?
そんなことをされて負けた子供たちに心の傷はなかったのでしょうか?
子供たちは大いに勝利にこだわり、日々の努力をもって頑張ればいいと考えます。
大人が「子供たちのため」をお題目に勝ちにこだわりすぎては危険だとも考えます。
「人の振り見て我振り直す」
改めて、そう思いました。
プレッシャーをかけるのではなく、対戦相手チームに最高のプレーを願いたいものです。(反論がきそうですが・・・)
対戦チームがいてくれるから、子供たちの日々の努力の発表の場(試合)があり、試合ができ、子供たちの成長の場であると考えます。
ライバルチームがあるから、それに負けまいと子供たちは努力します。
「ライバルの最高のプレーを願う」H川さんがおっしゃっておられた言葉です。私も同感です。
相手チームの最高のプレーより上をいくために、さらに子供たちは努力しなければならない。
そこにも野球を通じての学びがあるように思います。
私個人としては、そんな相手チームや子供たちにも感謝の意を持って接していきたいと考えます。
子供たちの大人へ向けての自立のために・・・ |