長良、松山東、広島観音は甲子園常連校?
昭和25年春から翌26年春にかけて三季連続出場した長良(岐阜)、昭和25年夏の選手権を制覇した松山東(愛媛)、昭和27年春に出場した広島観音‥‥。これだけでピンとくる人はマニアックな高校野球ファンだ。
戦後の新制高校への移行に伴い、校名変更や学校の統廃合が行われたのは甲子園常連校も例外ではない。春夏合わせて優勝4回、準優勝3回(当時)を誇った岐阜商(岐阜)は校名を「長良」に変更して、三季連続で甲子園出場を果たした。まもなく岐阜商(現・県岐阜商)と長良に別れたが、昭和49年春に長良は単独で再出場を果たしている。春夏合わせて優勝3回、準優勝2回(当時)の強豪・松山商(愛媛)は校名を「松山東」に変更して、昭和25年夏の選手権で14年ぶりの甲子園出場を果たすと、いきなり全国制覇して見事な復活を遂げた。まもなく松山商と松山東に分離し、現在に至っている。決勝進出を果たした4大会(選手権3、選抜1)のすべてで優勝した試合巧者・広島商(広島)も校名を一時「広島観音」に変更して、昭和27年春の選抜に出場。その後、広島商と広島観音に別れている。 |