2015.12.28 |
総会終了 |
遅くなりましたが12月19日(土)に総会が開催されました。
活動報告、決算、活動計画(案)、予算(案)等承認されました。
これで正式に新体制のスタートです。
また12月に入り3人の新入部員を迎えることになりました。
そして春から入部予定の保護者の方も総会に参加していただきました。
下級生の部員増が急務の我がチーム、ひとりでも多くの仲間が増えることを願っています。
スタッフ体制は12月から走りだしているので現場サイドは既に前を向いて着実に進んでいる印象です。
新監督がこのオフシーズンで何を強化したいのか、部員も練習を通じてしっかりと伝わっていることかと思います。
なお、このHP管理も新管理者に引き継ぎとなりますが、まだできていません。遅くとも1月中にはしたいと思います。
他の引き継ぎもあり、練習に顔を出すこともちょくちょくあります。
精神的な成長を感じるシーンが少しでもあればうれしい限りです。
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2015.12.08 |
4年目 |
山あり谷ありのシーズンだったと思います。
シーズン最初の交流戦では2試合とも大敗からスタート。
特に4月下旬から2ヶ月弱、苦しい戦いが続きました。
チームも完全に低迷期に突入しました。
完全に底だったような気がしますが、6月中旬からテコ入れを始め、このチームは何を伸ばしていったらよいのかというひとつの「きっかけ」を提供しました。
それが新人戦は3年連続決勝トーナメント進出、プチJrの準優勝に直接つながったとは思いませんが、「きっかけ」にはなったと思います。
チームとしては初の県外遠征を行いました。
それも6年生の引退試合として。
朝早い出発、即試合、長い待ち時間、そして試合、色々な意味で良い思い出になりました。 |
2015.12.03 |
3年目 |
6年生が卒業して22人でスタートしましたが、春先に4人部員が増えて昨年に引き続き26人の大所帯となりました。
この年は前評判の高いチームでした。チーム内では戸惑いもありましたが、周囲の評判はしっかりと受け止めて、チームとしても県学童までは全部員で優勝を目指していきましたが、目標達成ならず。
県学童終了後、6年生11人をT部、5年生以下U部15人と分けて、完全別練習、別行動でチームを分けました。前年の総会でチームを分けることは、了承済みでしたので、スムーズに入れた気がします。
チーム運営としても大変な時期でしたが、T部、U部、それぞれで行動することによって、保護者の方も練習のお手伝い、試合運営についても積極的に関わっていただき、非常に心強かったシーズンでもありました。
また岩美町の大会に招待されました。今後も引き継ぎ、お付き合いできればと思っています。
良い意味のトラブルがあり、T部対U部の紅白戦を布勢球場で開催できたこと。非常に贅沢なひとときでした。
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2015.12.03 |
2年目 |
大きな節目となる年でした。
まずは鳥取Jrベースボールリーグの発足。
23人の部員から6年生7人が卒業して16人でスタートしたのですが、部員数増の勢いは止まらず、シーズン終了時には25人となりました。
このシーズンは部員が増えた関係もあり、試合組と練習組を分けたり、後半は新人戦、トスク杯、リーグファイナルカップなど2チームで参戦しました。
また11月には琴浦町の新人戦大会に招待され、チームで初めて東部圏域をこえて試合をさせていただきました。
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2015.12.03 |
結成当初 |
国府東・岩倉と修立の「融合」がテーマだった気がします。公式戦もなかなか勝てないシーズンでした。
そして県学童1回戦を突破したものの2回戦を棄権したこと。これも合同チームの厳しい現実でした。
一方、チームが合同になればなるほど、部員数は減るのは覚悟をしていましたが、なぜか部員が増えていきシーズン終わりには23人となりました。
6年生を送る会の写真が日本海新聞に掲載された年でもありました。 |
2015.12.03 |
新たなスタート!! |
我がチームの区切りは11月末。
11月29日(日)に保護者会を開催し、新役員体制が決定しました。
あわせて新スタッフ陣の報告も。
12月5日(土)の練習から新体制となります。
私もこの度で代表の任期を終えることになりました。
実務的には12月19日(土)総会をもって退くことになりますが、グランドに顔を出すのは11月29日(日)が最後となりました。
これからは引き継ぎ資料の作成に取り掛かることになります。
ホームページ管理者も19(土)をもって移行となります。
さて、合同チームだった国府東・岩倉と単独チームだった修立が合併してこのチームが結成してから4年が経過しました。
結成当初、英語を使ったチームがなかっただけに(今もですが)「どうやって読む?」「何だこのチーム?」「どこの学校とどこの学校がくっついたの?」と多くの方に言われました。
4年経過してチーム名そのものは浸透してきたのかなと思いますし、3校+他の学校の部員も受け入れてきました。
組織形態としてはクラブチームのように運営しています。
合同チームだけに様々な調整が必要です。保護者の方々の多大なる協力、サポートによりチームが成り立ってきたという思いがまず第一です。
本当に感謝の気持ちで一杯です。
たくさんの思い出は12月19日までに少しずつ述べさせていただきたいと思います。
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2015.11.25 |
今シーズンラスト試合 |
◆11月23日(月祝)
第1試合 SIK 14−0 浜坂
第2試合 SIK 1−14 浜坂
今シーズンの試合は終了しました。
・結成時 12月第2週
・1年目 12月2日
・2年目 12月8日
・3年目 11月8日
・4年目 11月23日
ラスト試合はシーズンによってまちまちです。
その時点でのチームの仕上がり具合も当然あると
思います。
12月に入ると天候不順、気温の変化も激しくなり、試合を組んでいてもなかなか読みにくい状況になります。
最終試合、天候も気温も文句なしでした。
試合内容について、オフシーズンに向けて課題がはっきりとわかる試合だったのかと思います。
来年3月上旬には球春開幕です。
オフシーズンはあっという間です。
来シーズンはチーム結成節目の5年となります。
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2015.11.04 |
岡山・鳥取学童軟式野球交流大会 |
6年生にとって最後の大会です。
今年初参加の大会です。
朝6時に鳥取を出発
アップ、開会式、試合、みんなで揃って昼食、休憩(鬼ごっこ?)、そして試合と本当に長い1日となりました。
第1試合は圧勝し、第2試合は接戦だったものの終盤力尽きました。
今シーズンを象徴しているような2試合だったかもしれません。
閉会式後、6年生4人が私のもとにきて挨拶をしてくれました。
6年生全員が涙を流していました。
実質昨年5月からスタートしたこのチーム、他チームより圧倒的スタートが早いため当然ながら最初は順調でした。しかし徐々に貯金は底をついていき、対戦相手によって結果がはっきりする繰り返しのシーズンとなりました。
当初、この年代は全く試合にならないのでは?と危惧していましたが、彼らなりの成長はしっかりとみせてもらったシーズンでした。
本当にありがとうという思いです。
21(土)6年生大会は4人揃って出場するようですので、他チームの6年生のプレーを勉強して、また交流を深めてきて欲しいです。 |
2015.11.04 |
【プチJr決勝】 |
◆10月31日(土)
美保南 5−2 SIK
2回表に先制したものの、その裏に逆転。
そして最終回に突き放されました。
力負けでした。
美保南の強さを感じた試合でした。
しかし5つの白星を重ねて決勝に進出したこの大会、4年生にとっては大きな自信となったことでしょう。
試合後の記念撮影も個人的にもご配慮いただき良い思い出となりました。
プチが3回目の出場となるメンバーがいて、「経験の豊富さ」もあったこの大会、実際はこれからが勝負です。
「1年後の新人戦で決勝進出できるか?決してそんなに甘くはない」と試合後、話をさせてもらいました。
来シーズン、上級生相手に互角に、互角以上にしっかり戦えることができるのか、そこが1年後の結果にはっきりでると思います。 |
2015.10.29 |
岡山・鳥取学童軟式野球交流大会 |
◆11月3日(火祝)津山スポーツセンター
チーム結成以来、初の県外遠征となります。そして6年生の最後の大会となります。
6年生4人が笑顔で終われるような試合になるよう願っています!! |
2015.10.29 |
11月1日(日) |
〔通常練習〕
8:45国府東小集合、9:00〜12:30 |
2015.10.29 |
10月31日(土) |
◆プチJr決勝戦 布勢球場
試合開始 午後3時
美保南 対 SIK(三塁側)
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2015.10.26 |
週末 |
【土曜日】
岩美南さんとの交流戦。
・2部1試合(5回+タイブレーク練習)
・3部1試合(5回+タイブレーク練習)でした。
5年4人も、先週と比較すれば少しはチームを引っ張ろうという姿勢がみえた感じでした。
【日曜日】
6年生も全員参加してプチJr決勝戦に備えての練習
4年生にとっては、ややハードルの高い練習だったかもしれませんが、決勝戦に向けてはちょうどよいのではと思います。
31(土)午後3時〜布勢球場
チーム結成4年目にして、初の決勝戦。
楽しみです!!
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2015.10.19 |
最上級生 |
新チームの最上級生は4人
今年と同じ人数です。
土曜日、2部の試合が行われましたが誰ひとり「チームを引っ張ってやる!」という姿勢がなかったのはとても残念でした。
「新チームになって張り切って頑張ってるな!」と思える部員は全くいませんでした。
試合後のミーティングでその話をしました。
自分のプレーをしっかりすることも大事だし、チームを引っ張っていくことも大事。両方求められるのが最上級生です。
最上級生としての自覚や役割について、今年の6年生もずっと言われてきました。
言い続けることは当然必要ですが、考えさせることも必要。試行錯誤の1年がスタートした感じです。
誰だって活躍したいし、自分のプレーに集中したい。でも常に活躍できるわけではないし、チームに迷惑をかけるプレーもする。でもスポーツはプレー以外での言葉かけでチームを引っ張っていく、支えていくことも出来る。
強いチームは上級生が下級生に教えてあげることができるチームだと思います。
「言葉かけ」は出来る学年なのは事実。ただそれをチーム全体に広めていくことが彼らに求められていくのだと思います。
1年後、どんな最上級生になっているのでしょうか。
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2015.10.19 |
プチJr決勝トーナメント準決勝 |
◆10月17日(土)
SIK 11対7 鳥取ジャガーズ
(延長6回タイブレーク)
1点先制されて4点取り返して逆転したものの最終
回、2死満塁から同点に追いつかれ、そして延長タイ
ブレークで何とか逃げ切り勝利しました。
決勝進出です!!
ただ先週の新人戦もそうですが、朝早い試合での選手の動きはかなりいまいち。
初回失点されるのも当然。
体もそうですが、心も準備できていない感じ。
エンジンのかかるのが遅い試合でした。
そして相手チームの強さ、粘り。
本当に見習う点が多い試合でした。
さて決勝戦。
チーム結成以来、初の決勝進出。
この大会が始まる前にチームで決めた「優勝」という目標。目標を掲げたものの、他チームの戦力状況が全くわからず雲をつかむような感じだったのは事実。
試合後のミーティングでは目標の再確認、優勝するためには、どうしたらいいかという話を常にしてきました。
予選リーグからの5勝という積み重ねは子どもたちの自信にもつながっています。5試合中3試合は逆転勝ち。
決勝戦の対戦チームは2試合ほど観戦しましたが、走攻守、全てにおいてうちの戦力を上回っています。
どんな展開になっても最後まであきらめずに、最高の晴れ舞台で堂々と胸を張って戦って欲しいものです。 |
2015.10.13 |
新人戦決勝トーナメント2回戦 |
◆10月11日(日)若葉台球場
SIK 1−7 美保南
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2015.10.13 |
前田杯について |
10月10日(土)岩美南小G
【前田杯】
1回戦 1−5 負け 岩美北
3位決定戦 7−1 勝ち 岩美西
開会式から閉会式までお疲れ様でした。 |
2015.10.08 |
中学校の新人戦 |
2(金)に中学校の新人戦があり観戦にいきました。
3年生が引退したこともありますが、部員が少ないチームが多いようです。
合同チームが2チーム、9人ちょうどのチームも数チーム。
先般、某中学校の野球部の監督さんとお話をする機会がありましたが、「うちの部員も少ないです。以前は会場確保も1日の試合数も困るほどだったが、チーム数も減ったし1日の試合数も余裕ができてしまった」と言われていました。
少年野球の話題の中心はチームの強い弱いというより部員数です。やはり「数」は力です。
我がチームも新チームは12人となりました。
今、4年生以下の大会に数名、助っ人で参加してくれています。
正式入部のきっかけになってくれればと願っています。 |
2015.09.29 |
あっという間の9月 |
◆9月6日(日)
前田杯→雨天中止
◆9月12日(土)
トスク杯開会式
トスク杯1回戦
SIK 1−4 富桑明徳
◆9月22日(火祝)
プチJr予選ラウンド第3戦
SIK 9−2 醇風
◆9月23日(水祝)
ファイナルカップ2回戦
SIK 0−4 面影
◆9月26日(日)
プチJr決勝トーナメント1回戦
SIK 10−0 賀露・湖山西
★6年生
10月10日(土)前田杯が最後の大会となります。
★5年生
新人戦決勝トーナメントがあります。
★4年生以下
プチJr決勝トーナメント準決勝があります。
それぞれの学年でまだ大会があることを感謝して
頑張って欲しいと思います。 |
2015.09.03 |
高校野球100年 |
今年は高校野球が始まって100年ということで、テレビ、甲子園など大きく取り上げられた年で、自身の高校時代を振り返る機会も多かった気がします。
私は昭和63年春〜平成2年夏まで高校球児だったわけですが、当時と比べて環境、技術、道具などすべてにおいて良くなったと思います。
また指導も理論的になりました。
卒業してから今も付き合いのあるのが当時の監督です。少なくとも1年に1回は飲む機会を設けています。
当時29歳だった監督もいまや56歳となりました。
それでもいまだに誘えれば快く参加してくれる監督です。振り返ると長い付き合いになりました。
当時、夏大会が終わって、保護者主催(当時は保護者会がない時代)の3年生を送る会がありました。泣いたことのない監督が号泣され敗戦の責任は自分にあるということを言われました。
その時に「監督には何も責任がない。負けたのは俺らが監督の思いに応えることが出来なかっただけなのに。本当に悪いことをした」と思いました。
今年の7月に飲んだ時に「当時、こういう風に自然に思えたからこそ、いまだに監督と付き合えていると思う。今の高校球児も終わった時にそうやって思える関係であったらいいですね」と。
監督は「うん、そうだな」とうれしそうにうなずいておられました。
今年1月、相談をした時もとても親身に相談に乗ってくれてとても感謝しました。
当時、他の同級生と比べて監督と話すことは圧倒的に少なかったですし、主将をしていたので怒られ役はとにかく私。
しかし卒業してから一番練習に手伝いにいっていたのが私。学校が異動になっても連絡を取る担当は私。
監督と主将との関係は永遠なのかもしれません。
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